KISS YOU





















例えば、戸惑いがちに伏せる睫。
腕の中で微かに引きつる痩身、震える喉、離れた一瞬に垣間見せる恍惚。
幾度となく重ね合わせても慣れずに身構えるのは羞恥のせいだと知っていて、尚も困らせるために揶揄で翻弄すると、耳まで赤くなった顔で懸命に非難がましく睨んでくる。その癖、すぐさま眉をひそめて目を逸らし、自分の顔を見ないで欲しいというようにそっぽを向いてしまう困り果てた、惑いきった、うろたえきった横顔の愛おしさ。

豊かな情感を映す朗らかな彩りの双眸が熱心に自分を見つめる程に、大きな瞳の奥にある敬慕と主に対するそれでない愛情が、日差しを受ける水面のように輝いているのが分かる。心で思うよりも眼差しで語るよりも、言葉で欲する自分の自儘になど気づきもしない、純真なまでの無知が時折苛立たしくも感じられたが、それは同時に、ひどく甘い温度を胸に与え自制を軽々しく砕いてしまうものでもあった。

こそばゆい。口よりも明らかに本音を語る両目の眩しさが。
もどかしい。言葉では何一つ語らず、真実を頑なに飲みこむ強情な唇が。
言動の端々に見え隠れする彼の躊躇や怯懦が、何に起因しているのかは熟知している。しかしそれでも、焦れったさに腹が立つこともあるのは、自分があまりにも彼の何もかもを欲してしまうせいなのだろうか。心だけでも体だけでも足りない。心身両方が揃ったとしても、まだ足りない。彼がその痩躯に有しているもののすべてが欲しい。心は無論、体も当然、そして、言葉や態度も余さず、すべて。

頑是なく沈黙を貫く彼に憤ることもある。だが、不思議なことに、彼の見せる愚かなまでの逡巡が自分を無闇に楽しませ、揶揄よりも強く甘やかに悪戯を仕掛けたくなる衝動をもたらして止まない。
そんな自分自身に呆れながらも、何故なのかとは思わなかった。
分かっている。苛立ちよりも楽しさを催すのは、馬鹿げていると自身苦笑を禁じ得ないが、やはり愛しさのせいなのだと。


まったくもって、どうしようもない。


こんな気違いめいた非合理的な感情は、自分に不似合いすぎるはずなのだが。
己を嗤いながらも彼を追い詰めて捕まえて、罠に陥れる準備に余念はなく、最早生まれつきと言っても大袈裟ではない頑固さを鼻で笑い飛ばす。


口を噤みたいのなら、どうせ素直になれないのなら、いっそ。














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壁際に追い詰めた痩せた体は相も変わらず小刻みな震えを訴え、唇で頬に触れると肉の薄い肩が大きく上下に揺れた。

自身の両腕という狭い領域に閉じこめられながら、懸命に顔を背け首をすくめて逃れる渋面は首や耳まで赤く染まっており、嫌がるというよりも困惑や羞恥のために抗う諦めの悪さが、愛しさ故にうずき出す嗜虐心に火をつけて止まない。
触れて確かめれば、琴をつま弾くように肌の下に潜んだ悦楽をあらわにし、細作りの躯幹の外も内も淫らに自分を欲する彼の皮膚は衣服を介していてもてのひらにすんなりと馴染んで、袷から忍ばせた指で薄い胸板を緩やかに撫で上げると二、三度小さく引きつって触れている箇所の体温が増した。

織田信長は、殿っと非難がましくかすれた声で呼んで自分を見上げた彼の耳をつまんで引っ張る。すると耳元で、いだだっ! と即座に悲鳴が上がって、一瞬彼の抵抗が緩んだ。すかさず、自分の巨躯を押し戻そうとしていた華奢な両腕をつかみ、片手に収めて彼の頭上でまとめ上げてしまう。両手の動きを封じられ、今度は自由の利く両脚を慌ててばたつかせる彼の脚の間に膝を差し入れて自身の大腿の上に痩躯を半ば乗せてしまうと、些に浮いた爪先がびくっと大きく震えて強ばった。

信長はくっと喉元で笑い、自身の眼下で赤い顔を苦くしかめて俯く彼の腕を離してやる。代わりに、片腕を浮いた脚の膝裏に入れて持ち上げ更に壁際へと小さな体を追いやり、もう片方の手で下を向いたまま自分を見ようとしない彼の顎をつかんで無理やり上向かせてしまう。見つめ合うことを余儀なくされた大きな鳶色の双眸にじわりと涙が滲み、唇が声なく、信長様と動いたのを見て、首の裏を焦がす悦楽が高まるのを感じた。咄嗟に自分の上衣を握り締めた彼に構うことなく、信長は羞恥と狼狽にわななく唇に口づけを見舞う。触れた刹那、反射的に両目を閉じた彼の表情を半眼のまま熟視し、紅潮を深める面に血が獰猛な悦びを伴ってざわつくのを感じながら、呼吸すら飲みこむように唇を交えた。堅く閉ざされた口唇を舌先でなだめるように舐め上げ、つかみ取った顎を更に上方へ持ち上げてやると、苦しげな溜息とともに彼の唇が微かに開く。間髪入れずにするりと舌先を口腔に忍びこませ、奥で震えていた舌を搦め捕り強く吸った。途端に彼の躯幹が跳ねて後方へ退こうとしたが、背は完全に壁へ密着している体勢なので当然逃れようもない。かたかたと震え出した手が信長の肩をつかみ、喘ぐように短く漏れる吐息が口内の熱を上げた。閉じた瞼の合間からほんの微かに涙が滲んで、はっはっと浅く短く呼吸する喉が、息苦しいのか、くっと短く鳴って何度も唾液を飲み下す。指の背で引きつる喉をゆっくりと撫で上げた信長は、搦め捕った舌を解放してその裏側を尖らせた舌先でゆるりとくすぐり、不意に些少離れ、今度は触れるだけの接吻で彼の吐息を奪った。抱き寄せた軽い体を僅かに持ち上げると腕に閉じこめた彼の全身が息を呑んだ気配が腕から伝わり、喉の奥で愉悦が焦げついて背筋がざわつく。自分の着物を握り締める小さい手を解いて掌中に収め、再び奥へと逃げて縮こまる彼の舌先を追いかけて自身のそれで引き寄せ、やんわりと吸ってから唾液を絡めた舌頭で舌の上を舐め上げた。

自身の居城である岐阜城に前もって登城の旨を伝えてきた彼をわざわざ主屋と離れた座敷へ通したのは、人目を避けるという意図もあったが、容易く逃れることのできない空間と状況を確保しておく必要があったからに他ならない。信長が少しでも手を緩めれば、自分の不興を買うと知っていながら逃走を図る彼の性分を分かっているからこそ、逃げたがる痩身を手元に捕らえておくための下ごしらえは欠かせなかった。

幾度となく唇や肌を重ねても、快楽を覚えるのは躯幹だけで、彼の心は執拗なまでに自分の愛情に慣れようとはしなかった。慣れようとはしないというよりは、不慣れに過ぎるという表現が最も適切なのだろう。ただ抱きすくめるだけで、まるで愛情を与えられることを怖がるように、平常は溌剌として陽気に振る舞う彼の相好が見る間に曇りゆくのを目の当たりにする程に例えようのないもどかしさを感じてしまう。よく移ろう表情と同じく感情豊かな双眸には、確かに信長への崇敬と主君に対する敬慕とは全く異なる熱を含んだ情愛が存在しているというのに、職務とは関係のない私事などにおいてのみ何故か言動にはそれが表れない。仕事の面において献身することも愛情表現ではあるのだろうが、欲深い自分にとっては彼の無欲とも思える至上の忠誠心は却って不足感を煽るだけの代物でしかなかった。

いつのときも欲しているのはすべてなのだ。余すことなくすべて、彼がその身一つに持ち得る、彼だけが有している心の、体のすべてが欲しい。触れ得ぬ熱情など考えられもしなかった。手元に留めておくばかりの偏愛でもあり得ない。自由を与えながらも帰り着く場所は必ず自分の手の中と定める。逃れることも拒むことも許さず、もしも彼が自分の手を振り解いたとしても、地の果てまで追いかけて再び己の掌中に束縛するだろう。この世で自分だけが彼の所有者であれる価値がある。だからこそ、彼へ向かう欲求は際限なく尽き果てることを知らなかった。

だが、彼が何を恐れているのか分かってもいて、逃げようとする痩躯を恨み切れずにいるのも事実だ。最初は自分の激しすぎる執着に彼が脅えていると勘違いをしていたが、そうではなかった。強引にでも捕らえて体を重ねれば、素直に応じはしないものの嫌悪していないことだけは知れて、理性を失う程に腕の中で法悦に溺れ、拙く自分を求める彼の姿はむしろ愛され慈しまれることを望んでいた。では、彼に逃走や拒絶を促す理性の裏にどのような本心が隠されているのか、信長にとってはそれを読み抜くことなど造作もない。

心から欲しいと願っていたものを失うこと程恐ろしいことはない。失う瞬間が訪れることに脅え続けるくらいなら、最初からそんなものは存在しなかったと、自分は何も与えられていなかったと予防線を張っておく方がまだ傷つかずに済む。絶望しないために逃れ、悲嘆を回避するための抗いを、自分があまりにも容易くねじ伏せて同じように愛せ応じろと求めるせいで、彼は戸惑い脅えることしかできずにいる。彼にとってしてみれば信長の愛は欲しくて堪らないからこそ、失うことがこの上なく恐ろしいものだった。
彼の臆病な心を愚かしいと思わざるを得ない。同時に、胸が締め上げられる程愛おしいとも思う。若かりし頃より長く傍らに存在し、鏡に映したかのごとく、互いの胸中を言葉を用いずに理解し合う自分達の間に秘匿を有することなど不可能だと分かっていながら、真実をひたすらに押し隠そうと努める彼の、羽柴秀吉の必死さを何よりも恨めしく、何よりも愛しいと、そう思う。


機嫌奉伺に登城した秀吉と職務に関する会話を二、三交わして後、雑談に至って数刻を費やした。自身の心中を的確に汲む彼と交わす会話は仕事のことであっても、他愛ない話であっても円滑に進み、楽しくて時を忘れてしまう。無駄に言葉数を浪費することを嫌う信長にとっては、冗談一つにしても贅言を必要としない秀吉との座談は暇つぶしというより歓楽の一つであると言っても過言ではなかった。必然的に彼に長居を強いる機会が多くなるが、秀吉を留めておく理由は無論会話を楽しむためだけではない。
夜が更ければ雑談は酒宴に、そして、酒宴が終わればもつれ合うようにして褥へ沈み、朝までの短い時を互いの体温を貪りながら過ごすのが常だった。
今日も今日とて空が白むまでの時を共に過ごすことは分かっていたが、久方ぶりの対面に自制を逸したのは自分の方が先だった。自分の強すぎる熟視と視線にこもる貪婪に気づいた秀吉が、次第に落ち着きをなくして面に困惑を滲ませた時には既に目の前にあった痩躯を抱き寄せていた。驚いて咄嗟に逃げようと暴れた彼を壁際へ追いやり、力づくで押さえこんで口づけを強要したのはつい先程のこと。

抵抗は止んだが、薄く目を開いて見つめる彼の顔は苦しげに歪んでおり、若干興を殺がれる。寝台の中で交わす接吻で秀吉は苦悶とも思える今のような表情を見せることはない。信長は苛立たしげに両目をすがめ、止むなく離れて彼を凝視した。
途端に、は……っはぁっと大きく息を吐いて苦しげに顎を反らせた秀吉の体が壁に倒れこんだまま崩れ落ちてゆく。双肩を大きく上下させる彼を腕に抱きとめ、自身の胸に収めてから、くたりと身を預ける秀吉の苦しげに歪む顔を見下ろした。呼吸が妨げられたための苦しみなのか、それとも自身の口づけを嫌悪していることよる苦しみなのか、どうにも分かり兼ねて信長は眉間に薄く皺を寄せ、ふうと息をつく。
「我を拒むか」
不機嫌さを隠しもせずに鋭い低音で眼下の秀吉に問うた。しかし、彼はすぐさま顔を上げ、いまだ赤みを残す相好を驚いたようにひそめて、違いますよっと叫ぶのに似た強さで否定する。そして、あっと気づいて自分の発言に再び目の下を紅潮させ、ばつが悪そうに渋面になって信長を上目使いで見た。

信長は片眉を吊り上げて口角を僅かに持ち上げる。秀吉は、拒絶するのかという質問に対して即座に否定で答えた。口づけを嫌がっている訳ではないと返答したこととなんら変わりがない自分の言葉に、彼が絶叫したくなる程恥ずかしさを感じているということは眼下の赤い顔を見れば熟慮の余地もなく理解できる。だが、苦しそうであったことへの疑問はいまだ晴れず、言いにくそうにちらちらと視線をさまよわせる彼の頭を軽く小突いた。大して痛くもないはずなのだが、いでっと声を上げて大仰に面を歪め、いかにも痛そうな表情を作った秀吉に微苦笑する。褥の中でも今と同じように明確な反応が欲しいものだと心中でこぼして、信長は喉の奥に笑いを押しこめた。自身の考えていることを口に出してからかってやろうかと意地の悪い考えも過ったが、中々引かない彼の紅潮を見つめて今は口を噤むことにしてやった。

目線だけで促すと秀吉が
「……あの」
と消え入りそうな声で呟く。信長の疑問を読み取ったのだろう、どうやら苦しそうに口づけに応じる理由を彼自ら吐露しようと意を決したらしい。秀吉にしては珍しく積極的な態度を無下にする理由もなく
「言え」
そう、今度は言葉で先を促した。秀吉は手で自分の首の裏をさすってから、申し訳なさそうに眉を八の字にしかめて信長と視線を重ねる。ようやく赤みの引いた面に、今度は困惑にも似た苦々しさが満ちた。
「首がですな、痛いんですわ……」
おもむろに発せられた彼の意外な言葉に、信長は眉をしかめて、首だと? と尋ね返す。こくりと細い首をゆっくり傾げて頷いた彼が、またも言いにくそうに目線をうろつかせるので、再び頭を小突いて無言の内に、言えと命じた。うっと短く呻いて頭を押さえた秀吉が少し拗ねたみたく唇を尖らせて半眼になる。ころころと変わる彼の顔を凝視していた信長は、飽きぬと内心眼下の仏頂面に苦笑いした。
「殿とそれがしでは、背丈に差がありますで、その……こういうことをする時にゃあ、ずっと上向いたまんまなもんすから、首が……」
照れ隠しなのだろう、早口に言い切ってしまってから、彼は些少不安そうに信長を見上げて、おとなしく返答を待っていた。
口には出さなかったが信長は、なるほどと心中で頷く。確かに秀吉の言う通り、自分と彼の身長差は顕著であり、大人と子供程に落差があると言ってもいい。彼は他の武将と比較しても極めて背が低く華奢な体格をしているが、逆に信長は家中で最も恰幅が良い武将とも大差のない鍛えられた巨躯を有している。そのため、自分が軽く屈んだだけでは彼の唇まで口づけは届かず、秀吉が懸命に背伸びしても直立する信長の首にしがみつくこともできない。必然的に彼の痩躯を持ち上げたり抱き寄せたりしなければならない訳だが、極限まで躯幹を伸ばして接吻に応じる秀吉にしてみれば、維持し続けるには非常に苦しい体勢だろう。延々と上を向かされていれば重い頭を支える首は痛み、息を吸うにも反った喉では難儀する。
「一理ある」
ふむと頷いて顎を親指で撫でるとほっとしたのか秀吉の相好が小さく笑みに解れた。誠に飽きぬ面と忙しく移ろう彼の表情に心の中で吹き出してから、信長は目を細めて口端を歪める。自身を見つめていた彼の顔が途端に引きつり狼狽に彩られた。
「なれば止むを得まい」
くくくと喉元で笑い、両腕という檻の中で落ち着かなく身じろぎ出した彼を瞥見する。へ? という間の抜けた声を発した彼には構わず、信長は素早く腕を解いて屈みこむと、棒立ちになった秀吉の両膝の裏へ腕を回してすくい上げ、驚いて反り返った背にもう片方の腕を回して支えて痩躯を抱えこんだまま身を起こした。突然高みに持ち上げられ、わっわわっ! と喚いて暴れた彼の後頭部へ手を回し、自身の肩口に顔を埋めさせて身動きしづらくしてやると、落ち着いたのか秀吉の動きが止まった。手を離してやると怖ず怖ず顔を上げた彼と目が合い、ふんと鼻で笑い飛ばす。

子供を抱き上げるのと同じ要領だった。背負うでもなく、横ざまに抱えるでもなく、向かい合う形で彼の体を自身の身長と同等の高さに捕縛する。片腕に座らせるようにして抱えた彼の痩躯は事のほか軽く、猿というよりは鳥と例える方がより相応しいと思えた。おとなしく抱えられながらも戸惑いの表情を見せた秀吉の襟足をつかんで、落ち着かなく下方ばかりに目線をやる彼の顔を自身に向けさせる。
「軽きことよ」
揶揄を交えてせせら笑うと彼がむっとしたみたく眉を些に吊り上げた。
「猿にございますからな」
悔しげな調子を残しながらも、自分のからかいにきちんと適宜に応じる彼の律義さがひどくおかしくてならない。しかし、貧弱な体躯にわき出る劣等感は笑い飛ばせるようなものではなく、彼自身、己を猿に例えつつも腑に落ちない思いはあるようで、八の字にひそめた眉の下で目を閉じた秀吉の頬が僅かに膨れた。

信長は些少とは言え、初めて見上げる形で熟視する彼の不服そうな顔に肩を揺らして笑う。むしろ、都合がいいと言えば彼はどう答えるだろうか。痩せた体の軽ろやかさやか細さが、彼を容易く自身の手に捕らえるのにどれ程好都合であるかを口にすれば、どんな顔を。

大方予想は着く。だが、実行してみて自身の想像と同じ結果が弾き出された時のささやかな達成感と、頭の中で思い描くよりも鮮やかに自分の愉悦を刺激する彼の反応を目の当たりにする満足感は、味わう程に信長の仕様もない衝動をかき立てて止まない。困らせて惑わせて慌てさせて、平素の知略や機転をことごとく失った彼の混乱につけ入る楽しさは、自分をこの上なく幼稚な悪戯へと誘惑して止まることがない。
「小賢しき口を叩きよる」
重く両肩を揺らして極力無気質な声音で言い放つ。冷たい語調に叱咤されたと思ったのか、彼は急に萎れて口を噤んでしまった。次に発せられる言葉は予測がつく。申し訳ございませぬ、であろう。

信長は小さく失笑して、腕に抱いた彼の体躯を少しばかり持ち上げる。自分が口にした言葉を真に受けて秀吉が詫びを言う前に、下からすくい上げるようにして彼の口唇を自身のそれをもって塞いでしまった。んんっと高く呻いた秀吉の両目が大きく見開かれ、頭が後方に退こうとした。無論、当然想定していた通りの反応だったので、素早く後頭部を手で押さえこんで微かに離れた唇を再び自身の方へと引き戻す。片目を開いて確かめると瞼を閉じた彼の面に苦しそうな様子はなく、眉間に寄った皺はむしろ、羞恥や狼狽のために生じたものであることが知れて信長は声なく笑う。故意に彼の襟足を指先でつっとなぞると細い首が引きつった。顔を僅かに離すと見る間に秀吉の面が熱して赤く染まってゆく。先刻よりも見事に紅潮した彼の相好に口角を歪め
「如何に思う」
と今し方の接吻にわざと感想を求めた。
「さようなことを……! 訊かんで下されませ……っ」
彼は泣き言めいた語調で喚いて首を振る。唇をわななかせて目端に涙をためた秀吉の赤い面が、信長の凝視から逃れるためか上を向いてしまい、降ろして下さりませぇっ! ととうとう半分泣き声交じりに叫んだ。はっと短く笑い、大きく反って無防備に眼前へさらされた彼の喉元に口づけを落とし、信長は唇から伝わる小刻みな震えの一つ一つを楽しみながら、耳殻の下にまで滑らせたそれで肌をやんわりと摘まみ、わざと音が立つようにして吸った。
「答えよ」
ひくんと引きつる痩躯をより堅く抱き寄せて、そう端的に命じる声音に褥で囁く時の甘やかな響きを潜める。早く感想を聞かせてみろと、彼が言いたがらないことを熟知していながら催促した。
「言わねば分からぬぞ」
更に畳みかけると、秀吉が泣きそうな顔をしながら小さくかぶりを振って、言葉なく「言いたくない」という意思表示をして見せる。信長は
「我が命、聞けぬと申すか。言え」
と抗いの一切を無効にしてしまうとどめを刺して、込み上げる笑いを喉の奥に押しこめた。首が痛いと口にしたのは彼の方だ。自分にとってしてみれば、首が痛くない体勢であれば、どれ程接吻を施そうとも構わないと言っているのと同じことである。というよりは、屁理屈と知っていて、信長が敢えてそのように解釈すると彼にならば分かるはずが、迂闊にも自分に付け入る大きな余地を与えてしまった秀吉の失態でしかない。望み通り、苦しくない体勢で口づけてやったのだから、礼の一つ、感想の一言もなしでは無礼というものではないか。言いたくないなどという消極など、自分が決して許しはしないと分かっていながら、信長に隙を見せた彼が圧倒的に悪いのだ。

逃れる視線を、背けられる顔を、唇で追って宥めすかすような接吻を幾重にも降らせる。紅潮してゆく耳朶や喉元を目端にとらえながら、鎖骨にまで滑らせた口唇で袷から些に露出した胸元を舌先で撫で上げると、わぁっと喚声を上げた秀吉の肩が引きつった。性懲りもなく抗いを続ける彼の態度に少しばかり辟易してきた信長は、一瞬動きの止まった小さな体を更に自身の方へと引き寄せ、殿っと非難がましく自分を呼ばった彼の襟足を再びわしづかみにし、自分と真正面から向き合うよう強制的に顔の位置を固定してしまう。すると彼の大きな双眸が見開かれて、朗らかな彩りの虹彩に映る自分の底意地悪い笑顔が判然と見てとれた。
暫時、無言のまま凝視が続いたが、こういった場合先に折れるのはいつも彼の方だ。信長がにやにやと口端を歪めたまま彼を見つめていると、不意に秀吉が渋面を作り半眼になって口内で呻く。やはり今回も先に負けを認めた秀吉には分からないよう、信長は喉の奥で小さく笑う。自分が負けるはずもないのだが、当然の結果とはいえ自身の予測が現実のものになれば心地よい気分は喜悦を伴って、益々手のつけられない衝動を助長した。

ひそめた眉の下で自分を見つめる両の目が一時腹をくくって狼狽を振り払ったかと思えば、即座に躊躇して唇を噛み締める。そんな秀吉の惑いに焦れったくなって、彼の襟足をつかんだ指先に力をこめると薄い両肩がすくめられ、閉じていた口唇が開いた。
「首は」
ぽつりと呟いてから一度ぐっと口を噤んで言葉を切る。だが、
「首は痛うなくなり申した……」
ぼそぼそと口内にこもる低い声でようやっと白状した秀吉の目の縁に涙が迫り上がった。首根っこをつかまれて顔を逸らせなくなった彼の面が、自身の鼻先で今日最も熱く赤く染まってゆく。ここまで追いこまれて尚且つ往生際悪く、横目になって視線を重ねようとはしない彼に心底から呆れて、信長は声を上げて笑ってしまった。
首が痛くなくなったなどという当然の感想などわざわざ聞かずとも分かることだ。聞きたかったのは平常とは違う体勢で交わす口づけをどのように感じたのかということなのだが、彼のせめてもの反撃が今のはぐらかした言葉なのだとしたら、腹が立つというよりはむしろ。

むしろ、可愛いことをすると思えてしまう自分にも心から呆れ果ててしまう。

信長は心中で自分自身を、阿呆めがと喜々として罵り、観念した癖にいまだ頑固にも本心を吐露しようとはしない秀吉の抵抗を鼻で笑って

「つまらぬことを吐く口よ、なあ?」

眉をしかめて、くくくと楽しげに喉を鳴らした信長は、腕の中で身を縮める体を強く抱き寄せ、羞恥に噛み締められた彼の口唇に再び口づけを見舞ってやった。



言ってしまえばいい。どうせ隠そうとしても、その心に浮かび上がる感情など、手に取るように読み抜いている。どんなに必死で足掻いても、自分の前では無力なのだと早く諦めてしまえばいい。



それなのに。



ああ、まったくもどかしい。そして、なんとも、こそばゆく。




口を噤みたいのなら、どうせ素直になれないのなら、いっそ。
つまらない誤魔化しや言い訳を吐く前に、そんな唇は口づけで塞いでしまった方が、よほど面白いというものだ。